してはいけない“取材慣れ”

フリーライターになって約9年。これまで、保育園の子ども達から企業の社長まで幅広い分野の取材や原稿制作を行ってきました。数えたことはありませんがおそらく何千件と経験してきたので、取材中に「ここまで聞けば原稿が書ける」という感覚がつかめます。テレビで言うと「撮れ高」というやつでしょうか。そこで取材を終えると、原稿が書きやすくて時間が短縮できます。でもこういう意味での”慣れ”は取材にはないほうがいいな、と最近実感します。

「取材はこれで十分」と私が思ってしまうと、こちらの思い通りの原稿になりすぎてしまいます。取材は底なし。想定していた原稿を書くには十分の材料が集まっていても、もう一歩踏み込めば、もしくは違う角度から質問をすれば、驚くほど面白い言葉をもらえるかもしれません。もちろん、お相手から「30分で終わらせて」と言われれば時間内に収めますし、いつまでも話し続けるわけにはいかないのですが。それでも時間いっぱいいっぱいまで使って、できるだけ多くの琴線に触れられるように粘りたいと思うのです。

取材内容が濃いと、どこを原稿に使ってどこを使わないかを取捨選択しなければいけません。取材後はたいていお相手を好きになっているので、わりと断腸の思いです。でも、材料がありすぎて悩むというのは贅沢な悩み。いつまでも”取材慣れ”はせずに、こうして悩みながら原稿を書いていたいものです。